感謝すること。
「あれもないこれもない」を数えるより、「あれもある、これもある」と小さな喜びを数えられると日常が感謝でいっぱいになり、いまある幸せに気づけるようになりました。 朝起きたら目が覚めてま今日を迎えられたこと、住む家があること、言い合える人がいること、呼吸できること、いま生きてること。 人生色んなことがあるけれど、当たり前と思っていた日常に意識をむけると気づかされることがたくさんありますね。全ては自分を成長させるために必要なこと、日々修行です笑。
心に湧いてくる感情や雑念は大地に止まるミツバチのようなもの。追いかける必要もないし、留めておく必要もない。好きにさせておけばいつか手放されていく。
上記の考えを瞑想の先生に教えてもらってから、どんな感情や思考が湧いてきてもいつか消え去るものだから、自分を責めたり、気にしすぎなくていいんだと思えるようなり、気が楽になりました。
カルマヨーガ(行為のヨガ) ー行為にのみあなたの権利はある。決してその結果にはない。 ・自分の役割を理解する ・目の前のことに集中する ・結果に執着しない ・利他のこころ ・感謝
ほとんど生活全てにおいて、ヨガ哲学を学んで良かったなと思うことばかりで書ききれませんが、どんな人にも光と闇があり良い人悪い人というのは存在せず、(それはいまこの人生だけでなく過去生も含めて)自分のすべきことの為にいまの課題を持って生きている尊い存在なのだと思うと、人と比べる必要もなければ、その人の見えているところだけで判断することもなくなり、みんなそれぞれに自分の課題(カルマ)を乗り越えるためにいま最適な状態でいると思えるので自分も含め、「自分はあの人はダメだなぁ」とか「許せない」という感情に振り回されることが随分なくなりました。 その人の肩書きや見えているものよりも、例えばヨガのクラスを終えた後のふとした時に現れる本質的な光のようなその人だけの素敵なところに目がいくようになったと思います。 日常でも予期せぬこと思い通りにいかないこと、たくさんありますが、結果にとらわれず今できる最善の選択が取れれば随分ストレスも緩和されるとわかってきたので、いま自分で無理なくできる範囲で自分自身のケアをする時間を取るように意識しています。それが自分を大切にすることで周りを大切にする、に繋がると思っています。 もちろん人なので、うへーっと落ち込んだり、傷つけてしまったり、失敗することもたくさんあります(^^)それもそれで贈り物と思って日々楽しく過ごしたいなぁと思いながら、皆さんとの学びの時間を楽しみにしています。いつもありがとうございます♪
全てはひとつ。
呼吸に意識を入れるときです。
知足 (今すでに足りているということを知ること。) 今、不完全に思える私も、本当は完全であること。
生きているなかで無意識に出てくる、「こうあるべき」という考えがとても少なくなりました。例えば、「良き妻とは○○であるべき」「いい人とは○○である」等々知らない間に私達は何かの定義に囚われそれに当てはめようとしてしまいます。 その全ての前提は「今の私は不完全」の思いがあるから。でも、世の中には全ての人に陰陽があり完璧に見えてる人でも欠点は必ずあり、不完全に見えるところも含めて完全なんだという事が理解出来た時、以前は欠点だらけの自分が好きではなかったのですが、そんな自分を受け入れられて「この私が活かせることは何だろう?」の視点で物事を見れるようになりました。 ・外側の世界に対するジャッジ思考や良い悪いの色眼鏡が外せるようになった。
修習と離欲 (サンスクリット語でアヴィヤーサとヴァイラーギャ) 初めてヨガをちゃんと学んだ時、初日に教わったのは、ヨガは”幸せになるための哲学”だということでした。そのためにはアヴィヤーサ=努力することとヴァイラーギャ=欲を手放すことだという教えがあります。 これらは2つセットになっていて、結果にこだわらず今できることを精一杯やる事がまずは大切。でも同時に、努力したからこそあとはなるようになるんだと、結果を手離す事ができる。結果重視しすぎると苦しくなることもあります。過程を認めて結果を受け入れる…自分を律しながらも気持ちが楽になる素敵な教えだなと思います。
仕事はもちろん、特に子供と向き合う中で、ああすべきではなかったとか、もっとこうしていたらなど後悔する事が日々ありますが、そんな時は自分の中に勝手な理想があるんじゃないかと考えて、なるべく手離すようにしています。 すると、未熟だったかもしれないけどその時は精一杯やったんだと受け入れられる気がします。子供に対しても理想を押し付けず、その子のペースで成長を優しく見守ってあげたいと思っています。が、時々忘れてイライラすることも…。 修習と離欲、まだまだ修行の必要がありそうです。